1999年、私はオートスポーツにTOYOTAのレースリポートを書いた。
読み返すと、独りよがりの文章で、赤面するばかりであった。
あれから18年たった今(2017年)当時より冷静に、
TOYOTAの戦い方を振り返ってみようと思う。
1998年に続きTOYATAはドイツのケルンに拠点を置く、
トヨタ・チーム・ヨーロッパで開発したTS020でル・マンに臨んだ。
デザイナーは、プジョー905などを設計したアンドレ・デ・コルタンツ。
エンジンは3.6リッター90度V8ツインターボ。ミッドシップ。縦置き。
1999年モデルは、燃料タンク容量が10リットル削減され、細部をリファインしてきた。

TAKAGIRI TADASHI
このマシンになって2年目ということもあり、「本命中の本命。
ポールポジションを獲るのはもちろん、絶対的優勝候補」とみなされていた。
去年(1998年)のポールポジションタイムは、3分35秒544 これはメルセデスCLKの
シュナイダーが出したタイムだ。
今年(1999年)の予備予選の最速タイムは、3分31秒857 これはTOYATA TS020の
ブランドルが出したタイムだ。
6月9日水曜日、19時が近づく。
僕はこの日、コースではなくピットロードで写真を撮りながら取材をした。
ピットの奥、3号車がうしろ向きに止まっている。
見えているのは片山右京の後ろ姿だが、つるんと、右京が水ようかんみたいに、
クルマの中に滑り込んでいく光景が、不思議だった。
1号車にはブランドルが乗り込んで、ピット出口の方向を向いて止まっていた。
のぞき込むと、「何か用か?」とでも言いたげに睨み返してきた。
7号車のAUDI R8R。「ミケーレがかっこいいよな~」と一人で思う。
19時、皆、一斉にピットアウト。すぐそばで見ていると相当な迫力だ。

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TOYOTA車3台は、1周のインスタレーションチェックを終えると揃って
ピットに戻った。
そして簡単なチェックののちアタックに入っていく。
19時18分。ブランドルが3分37秒029でトップに立つ。
19時21分。ブーツェンが3分38秒211で2位。
タイムはどんどん更新され、ブランドルは33秒台へ。
ところがニッサンR391がクラッシュして、赤旗中断。
ほぼ1時間、休憩を挟む形となった。
20時47分青ランプが付きセッション再開。
するとブランドルは31秒176に更新。
ブーツェンも反撃、30秒801でトップを奪う。
ブランドルは30秒673で奪い返し、
21時42分には3分29秒930まで詰めた。
右京は3分34秒755で当面4位。
右京はアタックラップの時、ミュルサンヌで遅い車を弾き飛ばし、
フォードシケインでリアが滑って芝生に入りフェンダーを割った。
それで34秒。それがなければ31秒台だと豪語した。
結局、ブランドルのこのタイムがポールタイムとなった。
メルセデスは初日シュナイダーのタイム3分34秒366がやっとで、
TOYOTAの速さが明確となった。
翌10日木曜日、当時のTMGの社長であったオベ・アンダーソンにインタビューした。
まず去年、残り1時間半までトップを走っていた、思いを語ってもらうと、
「がっかりした」という言葉ではなく「誇りに思う」という言葉が返ってきた。

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TTEはラリーの経験は豊富だが、サーキットレースの経験は少ない。
ル・マンをやることが将来のF1にどう生きるか聴いてみた。
「ル・マンのプロジェクトがF1に生きるか、という点についてはYESです。
我々はラリーを長くやり、ル・マンのGTプロジェクトをやってきました。
この経験はF1にも役立ちます。ただF1は決して簡単なものではない」
今回のル・マンへの心構えは、
「私はレースは生き物だと思っています。ル・マンでは特に、レースが成長していく
と思っています。ですからそれに応じて作戦も成長していくものです」
「ただレースが始ったら、現実的にコースの真ん中をキープして走ってほしい。
チーム内で争うことは絶対にダメです」
最後に、僕がこの世界で有名な人に聞く共通の質問をぶつけてみた?
「子供の頃、どういう職業に就きたいと思っていましたか?」
オベはこう言った。
「子供の頃はクルマじゃなくて大きな船のキャプテンになるのが夢でした。
でもいまは大きな組織のキャプテンですから責任は重大です。
これからも正しい航路を歩みたいですね」。
さあ先を急ごう。
決勝前、TOYOTAの日本人3人衆に聞いた。
右京は「予選のセッティングとウオームアップで、
少しフィーリングが変わってきた。それほど大きな問題じゃなく、
原因は内圧にあったんで、それも解決できてOK」
土屋圭市は「いい仕事しますよ。このクルマだったら誰が乗っても勝てる」
鈴木利男は「三番目だと、夜に二回走ることになる。最後、
ニッサンではチェッカー受けたことあるんだけどTOYOTAでは初めてになる。
とにかく24時間後だね」

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フォーメーションラップでは場内にBGMが流れた。
スターウオーズのテーマだ。
ニッサンシケイン通過。次の曲は「ツアラストラはかく語りき」だ。
レーススタート。
ブランドルがトップで行く。2位ブーツェンが3位以下を押さえる。
右京は8位。
9ラップして右京ピットイン。ちょっと早いがここまでの燃費を見るため入れた。
そして給油。右京は汗かいている。
そこから10ラップして土屋に交代。
右京はものすごく喋った。車の調子は良いという。
18時半。ユーノディエールで小雨。
圭市の2スティントが終わり、利男に交代。
土屋は降りてから「掃除してくんないから左が見えないんだ。ポルシェのオイルかな。
左コーナー見えなかった」と語る。
20時半を過ぎてTOYOTA勢のラップタイムが上がり始めた。
20時40分、利男がクルマを降りて、右京に変わった。
利男がTOYOTAビレッジに向かって歩き始めたので、私も話を聞きながら
ついていく。
20時47分、僕たちがベンツのビレッジの前を通った時、大型画面に、
メルセデスCLK-LMが宙を舞う姿が映った。
それはそれは、メルセデス村の人たちは驚き、
「オーノー!」とものすごい声があがった。
利男はその映像を見て、
「死んじゃうよー」と叫んで、自室に入っていった。
僕ももう追いかけないで、メルセデスの取材に向かった。
セーフティーカーが入った。
救急車も向かった。右京はピットで給油。
TOYOTAの2号車は、ピットでリアカウルを開けた。
このペースカーランの合間にオイル漏れを掃除して戻す作戦。
すると1号車もガレージに入れ、整備。
1号車には、ミッション系のトラブルが出始めていたのである。
21時25分、グリーンフラッグとなりレース再開。
メルセデスは、4号車が予選初日夜に宙に舞っていた。
ウェバーは若干の打ち身はあったが、土曜日のウオームアップを走った。
しかし、ここでもミュルサンヌで空に舞い上がった。
メルセデスはフロントにフィンを取り付け決勝に臨んだが、
壊滅的な結果になってしまった。6号車はもう走らせずレースから撤退した。
ライバルが撤退したから、TOYOTAは優勝できたはずである。
しかしル・マンの女神はそうはさせなかった。
22時35分、TOYOTA1号車のエース、ブランドルがドライブ中、
第一シケインでバーストしてスピン、クラッシュしなんとか戻ろうとスロー走行するが、
マシンは止まってしまった。
TOYOTAの一の矢が折れてしまった。23時25分リタイヤ届け提出。

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それでもまだTOYOTAには2台のTS020があり、万全を期して走れば良かったはずだが、
ここに思いがけない伏兵がいた。
BMW V12 LMRである。17号車クリステンセン組が速く、燃費も良いので、
長いスティントが出来ていた。
レースが始まって8時間。24時の順位は1位が17号車。
57秒うしろにTOYOTA2号車がつけていた。
しかしこのTOYOTA2号車にも不幸が襲う。
ブーツェンはミシェル・マイゾヌーブのポルシェGT2を1コーナーで抜いた。
そしてブレーキングした時、このポルシェが追突。
あおりを食って大クラッシュ。マシンはこなごな状態。
ブーツェンは重傷。そのままレース生活に別れを告げる事件となった。
空を飛んだタンブレックはまったく無事だった。
でもブーツェンは脊髄を傷めるほどの怪我だった。
深夜、私はどこかで寝た。
おそらくメディアセンターの階段下だと思う。
朝6時過ぎに起きてまたメモを取った。
トップは17号車BMW。233ラップしている。
2位は15号車BMW。230ラップしていた。
3位が3号車TOYOTA。229ラップ。トップから4周遅れの3位というわけだ。
TOYOTAは1号車と2号車を失った。
絶対的な攻撃力を持った2台の戦闘機を失くしてしまった。
コルタンツにしてみれば、3号車はおまけみたいなもので、
最初から、指示も出してこなければ、どう攻めよとも言ってこない。
圭市に言わせれば「ほったらかしのすっぽんぽん」
でもここにきて、
レースあと7時間くらいになって、
「攻めて攻めて攻めまくれ」という指示に変わった。
ラップタイムも一気によくなり、全車中最速でBMWを追う。
その攻めがBMWを焦らせた。

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日曜日11時56分。
トップを行くBMW17号車JJ・レートがポルシェコーナーでクラッシュ。
メカニカルトラブルによるクラッシュであった。JJは足を負傷。
これで15号車BMWと3号車TOYOTAの一騎打ちになってきた。
3号車は利男も、圭市も、右京も3分35秒とか36秒とかのラップタイム。
15号車は3分40秒近い。
TOYOTA猛追である。
午後1時41分。差は42秒になった。
利男のラップタイムは3分35秒803 ベストだ。
そのあと右京が乗り込む。右京の目が凄い。このまま最後まで行くのだ。
丁寧に丁寧にBMWを追い詰めていく右京。
午後2時48分。右京3分35秒032 ニューラップレコード。
午後3時。今1分45秒の差。そしてBMWがピットイン。タイヤ変えない。
逆転したい右京の前にプライベートBMWが立ちはだかり邪魔をする。
その時、右京のタイヤがバーストした。
15時07分アルナージュ通過。15時10分ピットイン。15時13分ピットアウト。
これで15BMWから2周遅れとなった。
勝負は決した。
右京はこれ以上プッシュせず、最後までクルマを持たせる走りに変わった。
圭市は言う。
「ブーツェンを抜いていいかというとダメだという。5秒うしろ、10秒うしろを走れ
という。あの時、もっと真剣にタイムを稼いでいれば3号車の総合優勝もあり得た。
夜中の9分のピットストップもなければ勝っていた。世界の2位。良しとしよう」

TAKAGIRI TADASHI
日本人トリオで堂々の2位。
舘信吾の思いを乗せて、3号車の人たちは走った。
右京は信吾のグローブをはめて走った。
岡山のサーキットで、信吾を救出に向かったのは土屋圭市だった。
そして2位表彰台から降りてきて、右京は
「クルマを降りて休む時に毎回、信吾とか、小河さんとか、村松とか
みんなに祈っていた。守ってくれって。バーストした時もみんなが止めてくれたな」
本当にアクシデントの多いル・マンだった。
そしてひとまずBMWのオープンカーが勝った。

TAKAGIRI TADASHI
優勝者の一人ヤニック・ダルマスはル・マン4勝目だった。
ル・マンの方程式はますます複雑になっていく。
この項 了。