わが心のル・マン28年史 その18 1996年第二話「GT-R ニスモLMの限界。世界は遥かに進んでいた~」


1996年のニッサンはニスモGT-R LMという名称の
BCNR33GT-R 2台でル・マンに参加した。
空力を改善し、200㏄アップの2.8リッター、
振動を抑え、低重心化、Hパターン6速ギア。
改良に改良を重ねた。
スカイライン3年計画の、2年目である。

ニッサンは「参加するモータースポーツ」を旗印に、
「クラブ・ルマン」というファンクラブを作り、
会員数は1万2千人を超えた。
盛大な壮行会をやり「ファンと共に夢に挑戦」という
スタイルを打ち出した。
ただこれは、世界的な流れの中では、
まったくローカルな盛り上がりだった。
ひどく言えば、井の中の蛙だった。
このスカイラインによるル・マン。結果的にはこの年で終了し、
1997年はまったく新しい車両で臨むことになる。

(この時点では、まだわからなかった。計画すらなかった)

1996年のドライバーラインナップは、
22号車が鈴木亜久里、影山正彦、近藤真彦。
23号車が星野一義、長谷見晶弘、鈴木利男の「デイトナ優勝トリオ」
である。

2月19日から4日間ニスモは岡山のTI(岡山国際)サーキットで合宿を敷いた。
TIでやる理由は、冬場、雨や雪が降らないからである。
ここでは国内GT選手権用のゼクセルスカイラインと、ル・マン用マシン
それにプリメーラなどもテストした。
国内のGT選手権ではマクラーレンF1-GTRがものすごく速く、
スカイライン勢は苦労することになる。

ル・マンのほうもGTカー大歓迎と言いながら、
1994年はCカーもどきのポルシェGTが勝ち、
1995年はマクラーレンF1GT-Rが優勝し、
まったく新しいポルシェGT1もデビューしてきた。
「はて?スカイラインのどこに、勝ち目があるのか?」
という状態だった。

設計チームとしては2年目だからV6エンジンを載せて、
フロントミッドシップにすれば、マクラーレンと同等のタイムで
闘えるからやってみたい気持ちがあった。

しかし、直列6気筒エンジンのファンが多いスカイラインを
V6にするのはいかがなものか?
販売サイドから、声がありV6は断念した。
こうした歴史があって、現在のGT-RのV6に繋がっているということだ。

日産はバブル時代に売れたシーマなどの高級車も売れず、
このあと2兆円近い有利子負債を抱え、
1999年3月にカルロス・ゴーン氏がCEOになるのだが、
その3年前のル・マンということになる。

言わずもがなだが、ああいえばこういう体質。
まとまらない。そんな印象はぬぐえなかった。

予備予選でGT-Rニスモは4分01秒272.もう一台も4分01秒960だった。
新しいポルシェGT1は予備予選3分50秒995と速い。
厳しい闘いは承知。星野一義たちはル・マンに旅立った。

このシーズン。総監督は菅原孝見さん。白髪で温厚な方である。

予選ではLMP-1クラスのアルボレート、マルティニ、ゼイス組のTWRポルシェが、
3分46秒682でポールポジションに輝いた。
ダルマスの乗ったポルシェGT1は3分47秒139で4番手。
23号車GT-Rニスモは3分59秒946(4分を切った)で予選29位だった。
22号車は4分06秒184で36位。
とても優勝など口にできるポジションではない。

(予選ナイトセッションに出ていく星野一義)
TAKAGIRI TADASHI


6月15日土曜日午後3時ル・マンはスタートした。
23号車は星野、22号車は亜久里でスタート。
23号車は38分後、長谷見に交代。
22号車は影山に交代。
順位は32位と35位。そのあたりにいた。

深夜0時。23号車は19位あたりを走行。
22号車は、26位まで上がっている。

(2年目のGT-R 世界を感動させるまでには至らず)
TAKAGIRI TADASHI


朝になった。
22号車に異変が起きた。
鈴木亜久里がドライブ中、突然フロントブレーキが抜けた。
亜久里はコースアウトしてマシンを大破。リタイヤした。

たった一台になった23号車は日曜日の正午、
鈴木利男がドライブ中、ミッショントラブルが発生。
ここでスペアのミッションに交換。30分間ストップした。
星野が乗り込みコースへ。
でも、マシンから異音が消えない。
何度もピットインして探ったが、わからない。
ラスト1時間は長谷見がドライブした。
なんとか、なんとか、フィニッシュ。
総合順位は15位だった。

この場所で星野一義からコメントはもらえなかったが、
GT-Rによるル・マンチャレンジの限界はまざまざと見えた。
優勝は屋根のないTWRポルシェ。2位がクーペ型ポルシェGT1。
彼らは354周、353周した。
GT-Rニスモの周回数は307周。それが実力だった。

市販車ベースでル・マンを戦う限界。
星野は我慢して我慢して我慢してル・マンを戦った。


了。