1997年のル・マン24時間レース。おさらいです。
優勝は屋根なしのポルシェ。
アルボレート、ヨハンソン、クリステンセン組だった。
屋根のあるポルシェ911GT1は3台ともリタイヤ。最後の一台は炎上した。
ではマクラーレンF1-GTRはどうだったのか?
マクラーレンF1-GTR-97という新型を投入してのル・マン
エントリーは6台あった。
カーナンバー39 ガルフチーム・ダビドフ・マクラーレン。
カーナンバー40 ガルフチーム・ダビドフ・マクラーレン。
カーナンバー41 ガルフチーム・ダビドフ・マクラーレン。
カーナンバー42 チームBMWモータースポーツ
カーナンバー43 チームBMWモータースポーツ
そしてカーナンバー44がチームラークマクラーレンである。
ガルフとダビドフは別々のチームだが、今回は合体。
この3台は「マクラーレンのワークスチーム」と言えた。
一方のチーム「BMWモータースポーツ」というのは、
BMWのワークスマシンであり、スポンサーにはFINAがついた。
こちらは自動車会社のメンツをかけて勝ちを狙ってきた。
そして日本から参加のチームラークマクラーレン44号車は、
イギリスのパラボリカチームがが所有し郷和道が借りる形で使用したクルマ。
マクラーレン側から見れば、ラークマクラーレンは「勝手にやってていいよ」
といった感じのお客さんであり、まったく期待されていなかった。
反面、39号車、40号車、41号車は上位を走り優勝を狙っていくクルマであり、
シュニッツアーのBMWワークスと言えどライバルである。
マクラーレンも勝ちたい意識が十分あった。
その39号車に、関谷正徳が起用されて、アンドリュー・ギルバート・スコット、
レイ・ベルムと組んだ。予選は22位だった。
そのガルフ・ダビドフ・マクラーレンF1-GTR97は、
2016年に映像が公開されたので、ここで数点紹介しておく。

40号車はニールセン、ブシュ―、グッドウインだったが、実は予選2日目、
オイル漏れから火災となり、決勝への出場を断念した。
だから6台エントリーなのに、決勝では5台しか走っていないわけだ。
41号車も事件があった。
ピエール・アンリ・ラファネル、マーク・グーノン、アンドロフ・オロフソン
のトリオだが、予選でクラージュと接触している。ただこちらは決勝に出られた。
41号車は予選19位であった、

BMWワークスは速いドライバーを揃えてきた。
42号車はJJ・レート、ソパー、ネルソン・ピケの3人で予選4位。
43号車はコックス、ラバリア、エリック・エラリ―の3人で予選16位。
こうしてみると、土屋圭市が予選で10番手のタイムを出したというのは、
マクラーレン側から見てもBMW側から見てもびっくりする出来事だった。
さて、関谷について記しておこう。
日本のメディアがニッサンR390GT1に大注目なので、
関谷はあまり脚光を浴びなかった。
だから車検場であってもまったく気負いがなかった。
正式に決まったのもつい先日だし
ガルフやダビドフの連中にあったのも車検場なわけで、
97年型には予選で初めて乗るというのんびりさ。

95年優勝した時もニッサンがGTRで出てきて、そっちに注目が行き、
目立たなかった中、快挙を成し遂げた。
97年もそれに近い状況だ。
関谷の予選タイムは3分56秒682。全体の61位。
アタックはスコットの役目だったので、アタックさせてはもらえなかった。
急がず騒がず、役目を尽くす。そういう感じで始まった。
レースが始まると、ベルム(FIAGTに出ているエース)スコット、
関谷という順番で、2スティントづつ担当していく。
14位~11位~6位~5位と言った感じで推移して行き、
日曜の午後2時までは5位だった。
だがギルバートスコットがドライブ中、第2シケインで燃え始め、
ミュルサンヌの手前で、マシンを停めた。マシンは紅蓮の炎に包まれた。
ポルシェ911GT1もマクラーレンF1-GTRもともに1台ずつ燃えてしまった。
マクラーレンは結局41号車(オロフソン組)が2位。
BMWワークス43号車が3位。
JJ・レートはミュルサンヌでクラッシュ。ピットには帰ったがリタイヤした。
屋根なしのクルマが2年連続ル・マンを制した。
多くのデザイナーたちが屋根なしのスポーツカーを作り始めていく。
1998年はますます面白くなっていくのである。
さて、マツダスピードについてもメモを残そう。
1997年のMAZDAはTEAM DTRというエントリー名だった。
ダウニングと寺田レーシングである。
クルマの名前はDLM MS97
スポンサーは、もはやこの世に存在しないコンビニampmである。
ドライバーはフレオン、寺田、ダウニングと96年と同じ。
予選は33番手。
プロトタイプクラス11台中の9位。
寺田はアタックではなく木曜日にしっかり決勝セッティングで走った。
レースでは25位とかそのあたりをコンスタントに走り、
最終的には、24時間後、完走17台のビリ、17位でレースを終えた。
このほかにGT2クラスのマーコス・マンターラに乗った
日本人アマチュア鈴木隆司さんがいたが、わずか15周でレースを終えている。