わが心のル・マン28年史 その29 1999年第一話「6大メーカー激突。みんな本気の戦い。全体の流れ。メルセデスが宙を舞った年」


 これをしたためているのは2017年の6月である。
今年のル・マンでは、TOYOTAのTS050ハイブリッドが、絶対優勝するもの
と思っていたが、ぼろぼろに敗退した。

 私もJ・スポーツで解説をさせていただいたが、残念至極。
ル・マンで勝つということは、たやすいことではない。
本当に、一歩一歩着実に、誠実に、愚直にやっていくしかないのだろう。

 さて舞台は1999年、平成11年のル・マンに戻っていただこう。
 6月6日(日曜日)私は、早朝のパリに付き、レンタカーを借りた。
 パリは雨だった。 
 朝9時、ベルサイユの養老院にマメール(聖母さま)を慰問する。
 11時、ベルサイユからル・マン方面に出発し、15時ラバルに着いた。

 例年の定宿であるソレムのホテルが一杯なため、JTBに頼んで、
ラバル(Laval)のインペリアル・ホテルを予約してもらってあった。
(我々はジョークでラバウル帝国ホテルと呼んだ)

このホテルには、前年のワールドカップで
サッカー日本代表が泊まったというので、
信頼して行ったのだが、部屋が狭く、ダブルベッドがひとつあるだけ。
記憶では、信原博カメラマンと同室予定だったが、とても無理だった。

 一人で駅前のサン・ピエールという安い宿を探してきて、
そこからル・マンに通うことにした。
 ル・マンに限らず、パリダカなどでも、フランスでは何事も冒険さ。
突発事項は起きる。乗り越えるしかない。

 1999年は、我々もレンタカーでぶつかったり、
さまざまトラブルがあった。疲労やボケで様々なことが起こった。
一般の方々にとっては「メルセデスが飛んだル・マン」
として記憶されていることだろう。

この章では、エントリーの状況と、大きなレースの流れを
掴んでいただき、チームの汗と涙の、深いお話は次の章で紹介する。

 ではエントリーから。
 LMのGTプロトタイプとLMプロトタイプは同じ仲間に入れられた。

 カーナンバー1 TOYOTA GT ONE マーチン・ブランドル、エマニュエル・コラール ビンセント・ソスピり組。
 カーナンバー2 TOYOTA GT ONE ティエリー・ブーツェン、ラルフ・ケレナース アラン・マクニッシュ組。
 カーナンバー3 TOYOTA GT ONE 片山右京 土屋圭市 鈴木利男組。

 TOYOTAの3台は3600CCターボ。

 カーナンバー4 メルセデスCLR マーク・ウエバ―、ジャンマルク・グーノン、マルセル・ティエマン組。
 カーナンバー5 メルセデスCLR クリストフ・ブシュー、ニック・ハイドフェルト、 ピーター・タンブレック組。
 カーナンバー6 メルセデスCLR ベルント・シュナイダー、ペドロ・ラミー、フランク・ラゴルス組。


メルセデスCLR 6号車
TAKAGIRI TADASHI


エントリーの説明を続けよう。

 カーナンバー7 アウディ・スポーツ・チームヨースト アウディR8R(屋根なしのアウディ)3595CCターボ。
 ドライバーは、ミケーレ・アルボレート、リナルド・カペッロ、ローレン・アイエロであった。
 カーナンバー8も同じ屋根なしアウディ。エマニュエル・ピロ、フランク・ビエラ、ディディエ・ティエイス組。

アウディR8R 8号車
TAKAGIRI TADASHI


 そしてこんなアウディも。
 カーナンバー9 アウディスポーツUK アウディR8C(つまり屋根ありクーペ型R8)
 ドライバーは、ステファン・ヨハンソン、ステファン・オルテリ、クリスチャン・アブト。
 カーナンバー10は同じく屋根あり。ジェームス・ウイーバー、アンディ・ウオーレス、ポール・マッカーシー。
 このクーペ型AUDIは、いわゆるTOM'S UKの施設を買いとったAUDIのファクトリーで出来上がったマシンだ。

 さあ、これで3大メーカーが済んだ。

 カーナンバー11と12は、アメリカのパノス・モータースポーツLMPスパイダー。これはフォードの6リッター自然吸気エンジン。

 そして、

 カーナンバー15はBMWV12LMR(屋根なしスポーツカー)ヨアキム・ウインケルホック、ピエルルイジ・マルティニ、ヤニック・ダルマス組。
 カーナンバー17 BMWV12LMR(同じく屋根なしDELLコンピュータがスポンサード)トム・クリステンセン、JJ・レート、ヨルグ・ミュラー組。
 この2台がバリバリのBMWワークスである。

カーナンバー18はデビッド・プライスレーシングとブシューの共同チームのBMWV12LM98。
 98とある通り、1998年型のマシンである。
ここのドライバーは、トーマス・ブシュー、ビル・オウベーレン、スティーブ・ソパー。

 そしてカーナンバー19こそ、TEAM GOを名乗った郷和道の、BMWV12LM98である。
 ドライバーはヒロ・松下、加藤寛規、 中谷明彦。
 メインテナンスはデビッド・プライスレーシングだ。

 カーナンバー21はNISSAN C52

 カーナンバー22はNISSANワークスのR391。ついにニッサンも屋根なしのスポーツカー投入である。
 ドライバーは本山哲、ミハエル・クルム、エリック・コマス。
 カーナンバー23もNISSAN R391 
 ドライバーは鈴木亜久里、影山正美、エリック・バンデンポール。

 これで5大メーカーの紹介が済んだ(笑)
 パノスをメーカーにするなら6大メーカー。
 この後のクライスラーを入れて7大メーカーということになる。
 フェラーリを入れたら8大メーカー。

 さて、大メーカーとしては6つ目となるのが、
 51号車から、55号車までのクライスラー・バイパー。
クラスは一つ下のLMGTSになるが8000CCのNAでなかなか存在感があった。


1999年のポスター。


  このほかに特筆すべきはカーナンバー24オートエクゼ・フォード。寺田陽次郎、フレオン、ドノバン組。
 やはりampmのスポンサードで色は赤。ヒロ山形のデザインによるカラーリングだ。

1999年という年は、モータースポーツにとって激動の年だった。
 1月21日TOYOTAがF1参戦を発表した。(奥田社長時代)
 3月11日、岡山TIサーキットで、舘信吾という有能な若いドライバーが事故死した。
 4月10日もてぎのCARTシリーズ、2年目が開催され、
 私はデニス・スワンという輸送担当重役と、アンドリュー・クレイグというCEOにインタビューした。
 5月27日、個人的だが、モータースポーツに詳しく、ル・マンについて
教えてくれた年少の友人が死去。悲しい思い出だ。
 この年いっぱいで尊敬する高橋国光さんが現役引退。
 そういう年のル・マンを振り返ることになる。

 まずは予選のトピックス。
 6月9日水曜日19時00分からセッション開始。
 1号車のブランドルが3分37秒029でトップに立つ。
 19時21分、2号車ブーツェンが38秒211で2番手になる。
 ブーツェン35秒659に更新。ブランドル33秒479に更新。右京が37秒487で
 40分にしてTOYOTAがワンツースリーを形成。

 ところが19時45分くらいに大事故が発生した。
 NISSANの23号車R391、エリックバンデンポールがテルトル・ルージュでクラッシュ。
 本人を救出するため、1時間セッションが中断した。
 検査の結果、バンデポールは脊椎にヒビが入る怪我で全治4週間の診断。
 NISSANはエースカー1台を失い、亜久里と影山正美はまるで出られなかった。

 予選上位は、ほぼ初日で決まった。
 1号車(ブランドル)3分29秒930
 2号車(ブーツェン)3分30秒801
 17号差BMW(JJレートは木曜のタイム)3分31秒209
 6号車メルセデス(シュナイダー)

 片山右京の3号車は8番手スタートだった。

 6月10日木曜日のスケジュールを備忘録的に書くと、
12時  寺田陽次郎パーティー
14時  プレスルーム
16時  オベ・アンダーソンインタビュー
16時30 右京君と話す。
17時  土屋圭市と話す。
    土屋圭市の部屋でくつろぐ
18時  ニッサンシケインへ移動
19時  ニッサンシケインで撮影
19時30 ミュルサンヌ外側から撮影。

 11日金曜日は、たしかサーキットに行き、
 夕方星野さんにインタビューする予定があって、
 サーキットから国道に出るところで、
 フランス人のクルマがぶつかってきて、
 話をするために道の外側へ移動して、警察でも呼ぶかと思っていたら、
 ぶつかってきたやつが逃げちゃった。
 レンタカーはそれほどへこんでないし、
 まあいいかと思って星野さんの待っている中華料理屋に急いだ。
 長く行っていると変なことが起きる・・。

 レースの流れはこうだった。

 スタートからブランドルのドライブする1号車TOYOTAが飛ばした。
 2位もブーツェンの2号車TOYOTA。
 3位がシュナイダーのメルセデス6号車。

 2時間経過して、
 トップは17号車BMW 2位が2号車TOYOTA 3位6号車メルセデス、4位1号車TOYOTA。

 4時間経過した20時、
 トップは17号車BMW 2位が2号車TOYOTA 3位1号車TOYOTA 4位が5号車メルセデス。

 その47分後、信じられない事故が起きた。
 4位だったメルセデスの5号車が最高速ポイントで、宙に舞った。
乗っていたのは日本でも走っていたピーター・タンブレック。
 命に別状なかったが、救出には時間がかかった。
 メルセデスはこれにて全チーム撤退。

メルセデス5号車。ミュルサンヌの走り。
TAKAGIRI TADASHI


 6時間半が過ぎた22時35分、
 カーナンバー1TOYOTAブランドルがバーストからスピン。
 ガードレールにヒットして、帰ろうとしたが、アルナージュで動けなくなった。
 TOYOTAの一角が崩れた。
 2号車も徐々にトラブルを抱えはじめていたが深夜3時過ぎブーツェンが1コーナーで
 クラッシュし、2台目も消えた。
 ブーツェンは重傷。ドライバー生命をこれで終えることになった。

 右京組は3位に上がり、トップはBMWの17号車。2位が15号車BMW。

 そのトップだったBMW17号車のJJ・レートが日曜日の11時56分
ポルシェの先でクラッシュ。リタイヤした。

 レースは15号車と右京組の一騎打ちになった。
 しかし15時過ぎ右京は高速走行中にバースト。
 ふらつくマシンを抑えつつ、ピットに帰りタイヤ交換。

 最終結果は
 優勝  15 BMW V12 LMR ウィンケルホック、マルティニ、ダルマス組
 2位   3 TOYOTA GTONE 片山右京 土屋圭市、鈴木利男組
 3位   8 AUDI R8R(屋根なし)ピロ、ビエラ、ティエイズ組。

 BMWは2年目で結果を出した。
 TOYOTAはまたも2位だった。
 AUDIがオープンカーで3位に入り徐々にル・マンを制覇する存在になっていく。
 いわゆるAUDIとウルフガング・ウルリッヒ博士の時代がやってくるのである。

 この項 了。

 引き続き、各チームの密着リポートに移ります。