1998年、サッカーのワールドカップはフランス大会だった。
その影響でル・マンはイベント自体、1週間前倒しとなり、
スタート/フィニッシュ時間も午後2時から午後2時までとなった。
しかし、ル・マンは、まさにクルマのオリンピック、
あるいはクルマのワールドカップと化し百花繚乱の時を迎えた。
とにかく、笑っちゃうくらい、劇的大変化が起きていた。
カーナンバー1から行こう。
BMWワークス(バイエルン)が屋根なしのスポーツカー
「BMW V12 leMANS」を作ってきた。
ドライバーはクリステンセン、ステュック、ソパー。
クルマを作ったのはF1のウイリアムズだ。
2号車も同じく「BMW V12 leMANS」である。

TAKAGIRI TADASHI
3号車5号車は、屋根なしのフェラーリ333。
3号車はステアリングのMOMOがスポンサーだったといえば
思い出す人も多いだろう。
7号車8号車はポルシェAG。つまりワークス・ポルシェの「屋根なし」。
車名は「ポルシェLMP1 98」。
7号車にはアルボレート、ヨハンソン、ダルマスという優勝トリオが乗る。
ワークスではあるが、優勝請負人チームヨーストがオペレーションを行う。
13号車、14号車はクラージュC51のシャシーに
ニッサンの3リッター・ターボエンジンを積んだ「クラージュ・ニッサン」。
15号車はクラージュC36のシャシーにポルシェの2995CCターボエンジンを
積んだ「クラージュ・ポルシェ」。
16号車はクレマーのK9シャシーにポルシェエンジンという「クレマー・ポルシェ」。
24号車はampmJAPAN 寺田陽次郎の「クラージュ・ポルシェ」だ。
つまり「屋根なしスポーツカー」が有利だと見た人々が、
どっとここに集結したのである。
クルマは875キログラムと軽い。
ただ、ガソリンタンクは80リットルだから燃費良く走る必要がある。
屋根があるクーペは空力デザインを突き詰めていけるが、
室内が熱くなる。エンジン回りの冷却にも頭を使う。ドライバーの乗り降りも大変だ。
屋根なしはシンプルで、使いまわしが良く、ドライバーチェンジも楽だし、
何より涼しい。
もし私がドライバーならきっと屋根なしに乗るだろう。
では、屋根なしに続いては「屋根あり」の軍団を紹介しよう。
ここも、笑っちゃうくらい、もの凄いことになっていた。
カーナンバー25と26はポルシェAG(ワークス)の911GT1である。
「今年こそ勝ちたい」
ポルシェのノルベルト・ジンガーは屋根ありと屋根なしの二面作戦で来た。
カーナンバー27、28、29は、全面復帰したTOYOTA。
TS-020 GTone(ジーティーワン)が3台エントリー。
27号車には片山右京、鈴木利男、土屋圭市が乗る。
真っ赤な車体に、白い流れるようなラインのカラーリングが斬新。
そしてカーナンバー30、31、32、33がNISSAN R390GT1
NASSANはびっくりぽんの4台体制。
大きなポスターも作ってやる気満々)
32号車はCALSONICのスポンサードで、星野一義、鈴木亜久里、影山正彦が乗る。
JOMOのスポンサードを受けた33号車は日本のノバエンジニアリングのメンテナンスで、
若手ドライバー、黒澤琢弥、本山哲、影山正美が乗る。
これだけでは終わらない。
カーナンバー35、36は、とうとうやってきたメルセデスCLK-LM
さすがにミハエル・シューマッハはいないが、
35号車のドライバーはベルント・シュナイダー、ルドビック、そしてマーク・ウェバーだった。
40号車41号車はガルフチーム・ダビドフマクラーレンで、
41号車にはエマニュエル・ピロやカペッロ(後にチーム郷に入るリンド)が乗っている。
マクラーレンもまだまだル・マンでトップを狙うつもりでいた。
そして、アメリカから、個性的なクルマ、パノスも2台やってきた。
FRのスポーツカーであり、
2000年のテレビ朝日レーシングチームでは日本人6人が乗ることになるマシンだ。
GT2クラスではクライスラー・バイパーが5台も参加している。
もはや全車種を把握して、全部のクルマを見るなんで不可能。
もうコースで見ていても眩暈がするくらい、名車のオンパレードになった。

TAKAGIRI TADASHI
ここまでお話しして思うことは、例えば、2年前に準備した人が、失敗を重ねて
やっと結果を出してくるのが今。
また今、初めて自分たちが挑戦をし、それが実を結ぶのは数年後。
ル・マンは急に来て、あっさり勝てる場所ではないということだ。
このあと、日本の各メーカーのストーリーを展開するが、今回は
全体的なレースの流れをお話ししておこう。
6月3日予選初日の走りが始まる。私はいきなり第一シケインに出た。
32号車NISSAN、亜久里がやってきた。
27号車TOYOTA、片山右京がこの2時間は乗る。

TAKAGIRI TADASHI
メルセデス。見るからに速そうで、突っ込み鋭く、脱出も早い。
次に速そうなのがポルシェ911GT1。
見た目TOYOTAとNISSANはその次くらいだった。
予選1時間走ったタイムは26のポルシェ3分40秒843でトップ。
1時間見て、インディアナポリスに移動して撮影を続ける。
予選2時間後のタイム。28号車TOYOTAがTOP 3分37秒404 ブランドルだ。
夜の走行になり28号車TOYOTAが3分36秒552をマークした。もちろんブランドル。
6月4日 TOYOTAは決勝セッティングにいそしんだようで、無理なアタックはしない。
その中で、35、メルセデスのベルント・シュナイダーが3分35秒544をマークして
ポールポジションをもぎ取った。2番手が28、TOYOTA。3番手が36メルセデス。
ポルシェGT1は4位と5位だった。
6月6日決勝。スタートするなりマーチン・ブランドルが仕掛ける、仕掛ける(笑)
第一シケインでシュナイダーのメルセデスをかわしてトップに立った。
非常にハイペースな始まりだったが、1時間13分後、メルセデスにトラブル発生。
パワーステアリングのポンプ破損でレースを終え、2時間過ぎにはもう一台の
メルセデスも止まった。レースはTOYOTAがリードしていく。
18時。スタートから4時間後、BMW屋根なし1号車2号車が、バイブレーションにより
リタイヤした。ホイールベアリングからグリースが無くなってしまう現象だった。
俊足のウサギさんチームがドタバタ壊れていく。
TOYATA27号車28号車は大きく遅れている。
28号車のエラリーは、ピットロード進入でクラッシュ。
(西日がまぶしかったと言い訳)
27号車はギアボックスのトラブルで 利男が、アルナージュでスロウダウン。
やっとのことでピットイン。18時までに3回ピット。修理が続く。
18時。ひとまず29号車TOYATAがトップだが、僅差の2番手3番手がポルシェ。
4番手がNISSAN。じりじり、じわじわ追い詰めている。
21時09分。7号車ワークス(ヨースト)ポルシェ。屋根なしが止まった。
2連勝を誇ったアルボレートチームが去った。電気系トラブルだった。
最強のヨーストチームでさえ、簡単には勝てない。
22時20分。TOYOTA29号車がブレーキパッド交換。
ここでポルシェ25号車がトップに立った。
TOYOTAはギアボックス作業も必要で遅れていく。ポルシェの天下がやってきた。
深夜1時、雨になった。
33号車NISSANがクラッシュして順位後退。
朝を迎えると、26号車(マクニッシュ組)ポルシェGT1がトップ。
25号車(ウオーレック組)ポルシェが2位。3位が29号車(ブーツェン組)TOYOTA。
ゴールまであと4時間となって29号車のTOYOTAは猛反撃。再び戦いが激しくなった。
ポルシェがトップかと思えばTOYOTAがトップに立つ。
私の友人であるBenoit Deljegeさんの絵
今見ても名作です)
TOYOTAのペースは速かった。しかし12時35分、TOYOTA29号車はミュルサンヌで
スローダウンし、アルナージュで止まった。
ギアボックスのプライマリ―シャフト破損。リタイヤ。
1998年ル・マン24時間もまた劇的に終わった。
優勝は26号車ポルシェ911GT1 98
2位は25号車ポルシェ911GT1 98
3位は32号車NISSAN R390GT1
NISSANは4台がTOP10フィニッシュを飾り、
TOYOTAは27号車 片山右京 鈴木利男 土屋圭市組が8位フィニシュであった。
ポルシェの責任者ノルベルト・ジンガーは、
打倒マクラーレンのため設計を始めた911GT1で3年を費やし、
久しぶりにル・マンの天下を取った。
この項、了。
