運命の出会い、とでも言おうか。
この人たちは、親兄弟よりも仲良く、
尊敬しあい、助け合い、
お互いを高め、レースの道を進んだ。
高橋国光、土屋圭市、飯田章。
不思議なほど、無欲で、
不思議なほど、人間的で、
不思議なほど、計算ずくでない、善良なチーム。
三人は、GT2クラス、HONDA NSXで、初めてのル・マンに挑んだ。
それは、山あり谷あり、茨の道だった。
しかし、国光が教えたル・マンの魅力に、
圭市もアキラも、はまった。
二人はやがて、日本を代表するドライバーに成長していく。
1994年のル・マン24時間レース。
チーム国光 感動物語をはじめよう。

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~世界へ飛び出すドリキン~
土屋圭市は38歳になった。
5月。高橋国光、飯田章の三人とホンダの橋本健たちはフランス、ル・マンに飛んだ。
参加資格を得る「テストデー」に参加するためである。
HONDA NSXはル・マンの車両規定にあわせるため、イギリスのTCプロトタイプ社にマシンを改造させた。
オリジナルのアルミシャシーに、サスペンション・ピックアップ・ポイントの変更。ショック・マウントの変更などが改良点である。
ドライバー保護のため8個のカーボンパーツ、例えばリアバルクヘッド、ドア、コンソール部分、センタートンネルなどが補強されている。
ただリアのバルクヘッドはカーボンでふさいだが、車検委員から「うしろが見えるようにしなさい」と言われ、やり直した記憶がある。
エンジンは380馬力のV6、3リッター V-tec/PGMエンジン。
もちろん、技術研究所で改良され、馬力も数字以上のものがある。
テストデーには、マシンは1台しか間に合わず、ドイツのGTレース「ADAC」仕様の2台も参加した。
圭市はとにかく、コースを覚えるのに必死だった。
ル・マンのレースなんて「ちんたら、ちんたら走るんだろう」
という認識だった。
海外で走ったことはなく、メカニックが外国人というのも始めて。
夜は寝つけなかった。
帰国してすぐ、またマルセイユに飛びポール・リカールでテスト。
そして6月12日、日曜日、再びフランス入り。
13日、月曜日、国光とコース下見をした。
14日火曜日正午、チーム国光の三人は、赤と白の真新しいシャツでジャコバン広場の車検にやってきた。
「先生!お荷物お持ちしましょうか?」と、ジョークで私が声をかけた。
圭市は、荷物でふさがった手を伸ばして、握手してきた。力強い握手だった。
「緊張してる?」
「ううん、平気。一回目のとき(テストデー)は緊張したけど、先月来た時は3時まで寝られなかったけど、昨日はよく寝た」
「凄い人で圧倒されていない?」
「人込みは普段から慣れているから。六本木に10年通っているから」
と、言うが、なんだかギャグが空回りしている。
右手と右足、左手と左足が、同時に出ているような、コチコチの圭市がそこにいた。
「ただね、国さんと俺だから、守りのレースやったって意味ないよね。攻めて、攻めて、24時間もたせられれば…。守りだったら、俺が走る意味がない」
自分を奮い立たせるようにそう言った。

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~クルマが遅い、何なんだ?~
15日の19時、予選が始まった。
国光が身支度して乗りこむ。圭市も「いざ出陣!」と気合を入れた。
「ギアが入らないの。どうして?」と国光。
「1速に入るように言って」と無線で言う。
ギアはヒューランド製のシーケンシャル。それが入らない。
やっとギアが入って走り始める。が、なんだか遅い。
クルマがノーマルのNSXみたいでテストの時のフィーリングがない。
オーバーヒートの症状も出始めた。
他のNSX。48号車は4分18秒。46号車は4分31秒だが、チーム国光は4分33秒。テストの時より遅かった。
圭市自身、国光やアキラよりもラップタイムが悪かった。
圭市は、言ってもすぐにパッパと動かない外国人メカニックにぶち切れた。
実は走り始めは路面がダスティーなので、ここで根をつめたセッティングにすると出口が見えなくなる。クレマーのクルー達はそう考えて様子を見たのだ。
夜のセッションになって私はインディアナポリス・コーナーに出かけた。
GT1のダウアー・ポルシェが速い。時々、赤い識別灯の47号車NSXが走り行く。
「夜は怖い。ミュルサンヌからの折り返し。判っていても怖いね」圭市はそんなことも言っていた。
私はテレビ朝日の放送本部に戻った。ここでは今回、チーム国光の無線が聞けるようになっている。
「水温は87度。油温は80。回転6400」淡々と報告しながら走る圭市。
闇の中、けなげに走るNSXと、土屋圭市の姿を思うと、涙が出てきた。
もはや、戻ることはできない。圭市はル・マンという大海に泳ぎ出た男。
漕ぎ出した小船なのである。
~国光のタイムがチーム最速だった。~
初日は国光の4分33秒がチームのトップタイムであった。
しかしテストでは4分28秒まで出たのに、5秒も遅い。
HONDAの橋本はクレマー・レーシングのスタッフを集め「しっかり頼む」と言い、夜通しの再検討、セッティングとなった。
翌16日も予選である。
まず国光が乗りこみ改良点を確認に行った。
「速くなったじゃん」
圭市と章が、プラットフォームのサインエリアに立ち、国光の走りを見守っている。
「4分26秒6。昨日より6秒も速いよ」と、圭市が言う。
「エンジンのロムを変えたのかなぁ」章の表情も明るくなった。
「あとは足回りがよくなってほしいな」
国光は引き続き走って、4分23秒15までタイムを縮めた。予選23番手だ。
その後、圭市と章が乗りこんだが駆動形トラブルが発生してタイムは伸びず、
ル・マンに一日の長がある国光のタイムが、チームを代表することになった。

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~ヨーロッパのHONDAが協力してくれた~
HONDAにとっては、初めてのル・マン挑戦である。
ル・マンの主催者ACOは名高いHONDAの参入を喜んでくれたが、橋本健がACOに挨拶に行くと、
「歓迎します。が、すぐには勝てるものではありませんよ」と言われた。

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今回のメインのパートナーはル・マンに20年以上参加しているドイツのクレマー・レーシングである。
タイヤはチームクニミツがYOKOHAMAであり、他の2台はダンロップ。
フランス・ホンダはサーキットでの準備と地元のプロモーションを引き受け、
マクセル・カラーのNSXをル・マンの表紙にしたり、ピットには全フロア、
不燃性のタイル張りにするなど協力した。また自家用ヘリコプターを飛ばして、
HONDA関係者を送迎。ケータリングなども引き受けた。
スイス・ホンダもNSXのレース活動をやってきて、最初にヨーロッパのGTに出したのもスイス・ホンダの社長。このように、ヨーロッパのHONDAファミリーが、ル・マン参戦を喜び、みな手弁当で集まって来ていた。
~晴れの舞台。決勝~
1994年6月18日午後2時過ぎ。国光、圭市、章の三人は、晴れ晴れとした表情で、オープンカーの上にいた。
章が、このクラシックイベントの雰囲気を噛みしめている。
圭市もまた、初めてのル・マンで、金髪の観客たちの拍手を浴びている。
フランス語のアナウンスが「47号車。オンダ! クニミツ・タカアシ!スシヤ・ケイイチ、アキラ・イーダ」と読み上げる。
「はいはい。私がスシヤ・ケイイチですよ~」と笑って手を振る。
長野が生んだ土着型のヒーロー、土屋圭市が、ついにインターナショナルな舞台にデビューした。その瞬間であった。
午後4時が近づき、NSXには国光が乗りこみ、圭市が寄り添い、パラソルを差す。
「暑いね」
「暑いですね。照り返しが凄い。路温も高い」
48台のマシンが蛇のように長い列を作ってフォーメーション・ラップを終えると、暑く長い戦いは始まった。
国光は序盤無理せず、無用のバトルを避け、マイペースを守った。順位は一時30位まで落ちたが、燃費がいいので、他のマシンがピットインすると順位は上がっていく。国光は1時間23分走って、ここで圭市に交代した。
クルマには車載カメラがある。右を見て、左を見て、ルームミラーを見て、
フェラーリを抜いて「ありがとう」と手を上げる圭市が観察できた。
また、テレビ朝日の放送席から直接、圭市に声をかけることもできるので、解説の津々見友彦氏が「ケイちゃん。津々見ですよ」と声をかけるが、なかなか聞こえない。
乗り始めて30分。圭市はあまりの暑さに「これは一体なんだ?なんでこんな苦しいことをしているんだ」と思った。圭市は1時間半乗った。がここでトラブル発生。
バッテリーを交換。ミラーの調整をした。ギアの様子を見て30分以上止まって飯田章が出て行く。
しかしトラブルが相次ぎ、ギアの不具合。ミラー交換。
そうこうするうち48号車ベルトラン・ガショー組のNSXがガス欠でピットロード入口でストップ、てんやわんやになる。

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夜10時半、圭市の二度目のドライブがやってきた。が、その前にドライブシャフトを交換。20分を失う。さらに1時間もしないうちにまたピットインしてドライブシャフト交換。
橋本健は「壊れたら、どんどん取り替えますから手を緩めないで行ってください」と言う。
明け方は国光が担当した。朝の7時からは圭市の担当。順位は22位。
次いで飯田章に代わったとき、
「おーい、シフトダウンができないよー」とアキラが叫んでいる。
ラップタイムも、もう5分オーバー。
「分かりました。ピットに帰ったら、なんとかします。とりあえず、クルマを止めないで戻ることを考えてください」

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ドライブシャフトは4回交換した。
ありとあらゆるパーツを換えた。そして今トランス・ミッションが壊れ、クラッチが壊れ、最後のドライブシャフトも怪しくなってきた。
午後2時45分。
土屋圭市が乗りこむ。
「最後は圭ちゃん、やって。とにかく一回はル・マンのゴールを経験してほしいんだ。いいね」
国光はフィニッシュ&ゴールの大役を圭市に任せた。
それは、順位が何位であろうとも、完走したチームにしか味わえないものであり、レーシング・ドライバー人生で、最大の思い出になるものだからである。
トップを走っていたサード・トヨタが、トラブルで3位に落ちたが、2位に返り咲き、猛烈にポルシェを追う。と、いう白熱のフィナーレになる中、よろよろと走る圭市のNSX。19位である。
他の2台のNSXも14位と16位で完走。

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午後4時。チェッカーフラッグが振られ、プラットフォームや、ウオールに全員が総立ちになってNSXを迎える。
「ウオーッ」
「ワオーッ」
形容しがたい叫び声を上げ、男も女も手を振る。
大男の橋本健が、目に涙をいっぱい貯めている。
エンジン担当チーフエンジニアの丸谷武志が泣いている。
そしてゴールを経験した土屋圭市が帰ってきた。
それを橋本健が迎える。
圭市は橋本と抱き合った。
圭市は、声を上げてオイオイと泣いた。
国光も涙を止められない。
圭市が泣きながら言った。
「帰ってこられないと思った。ドライブシャフト1本で走った。涙が出てきたよ。だって、みんなが、こんなビリッケツの、チンケなお俺らにサ、拍手してくれる。旗振ってくれる。凄いとこだよな。ル・マンって」
「国さん。ありがとう」
国光と、圭市が抱き合って泣いた。
国光が導き、よき人々が奔走し、実現したチーム国光のル・マン。
人々の真心、人の輪が、ひとつになった瞬間であった。

河島最高顧問のようだ)
Photo Hatano